2023.12.27 号

「新型コロナが5類に移行してから初めて迎える年末年始」、というフレーズが飛び交っていますが、いかがお過ごしでしょうか。

私どもは、ユール/クリスマスの音楽会や読書会を秋田で行い、降り積もった雪の中、無事に終えることができました。

ちなみに昨年は、12月25日が日曜日で、仙台S-PALからのご依頼をうけて館内で2ステージ、演奏しておりました。仙台駅前ゆえ、他県からのお客様も多い日で、それこそ秋田からのご来訪者がお声をかけてくださったり、海外からの旅行者がいたく喜んでくださったりしたことを思い出しました。

今年はちょうど12月24日が日曜日、真逆に、アラヤード・ピクニック・ハウスでのアットホームな会を開催しました♪ご常連のお客様のお一人が、ご実家が洋菓子店とのことで、クリスマスケーキの製造と配達でお忙しいさなか、私どもの会に、「お客様へのお土産に」と事前にご参加人数までお尋ねくださったうえでお持ちくださいました。まさに思いがけないクリスマスプレゼントでした!

さて、私どもは、大きな会館や野外の空間でも演奏する一方で、ごくごく少人数のお客様へむけて、小さな室内でも演奏をすることを、Club会員の皆様はよくご存知ですが、今年、お客様から、ちょっとしたお声が寄せられました。

「コンサートホールでは味わえないような、すぐ近くで演奏を観て聴いて、贅沢な体験をさせていただいていますが、一つ要望があります。コンサートホールでは、演奏者が入ってこられると客席は、拍手で迎えますし、そもそもその前には、客席がシーンと静まり返っていて、べちゃべちゃおしゃべるすることはありません。でも、となりのえんがわでは、客席が直前まで賑やかなこともありますし、ハッピートコさんが入ってきても、皆さんが拍手で迎えないこともあります。私はそうしたくても、誰もそうしないので、気が引けます。自分としては、演奏が終わったら、休憩の時も、ライブの終了のときも、ハッピートコさんが見えなくなるまで、拍手をしたいです。コンサートのマナーを、ご存知ないかたのために、ハッピートコさんから、指南するのはどうでしょうか?」
とアンケートに、丁寧に綴られていました。大変ありがたいことでした。

じつのところ、私ども自身が、感じていたことでもありますが、拍手で迎えられないのも、拍手で最後までは送られないのも、私どもの不徳の致すところ、と思っておりました。

が、近いご意見は、他のお客様からも、すでに寄せられておりました。お一人は、
「自分は余韻に浸っているときに、隣の方がすぐに一緒に来られたかたと関係のないおしゃべりを始めたのが、すごく嫌だった」と書いていらっしゃいました。

せっかくお越しいただいたのに、客席で嫌な思いをさせてしまったのは、こちらとしても凹みました。何より、どなたかにとっては、余韻を楽しむよりも、すぐに関係のないおしゃべりをさせてしまうような演奏だったのか、ということに、内心、傷つきました。

であれば、私どもがお客様に注意をするのは、全くの筋違いで、演奏の質をもっと上げることに尽力するしかない、と思っておりました。
しかし、「たしかにマナーをご存知ない、というだけで悪気のないかたもいらっしゃるのかもしれない」と考えるに至りました。

言われてみれば、毎回毎回、コンサートホールでは、ごくごくあたりまえのことですのに、「開演に先立ちまして、お客様にお願い申し上げます」に始まる、各ご注意がアナウンスされますものね。

そこで新年には、私どもなりに、お客様にお願いしたいことをまとめてみたいと思っております。
会場にお集まりくださる皆様が、心から満足してくださる時間になるといいな、と願うばかりです。

(聡子)   .


和の音楽

音楽の三つの要素といわれるうちの一つが「和音(コード)」。 「ドミソ」に代表されるように、同時に2つ以上の音が鳴るもの。

和音は、主に、旋律(メロディー)を伴奏する時に使われて、 メロディーに 豊かさをプラスしたり、雰囲気などを醸し出し、聞く者にある感情を想起させたりする

料理に例えると 主食材の味を生かすために加えられる調味料のようなもの…… というより、一緒に食べる 付け合わせの野菜と言えるだろうか

メロディが同じでも、一緒に奏でられる和音によってその色合いが一変して、様々な変化を楽しむことができる。和音は現代、私たちが耳にするほとんどの音楽で必ずと言っていいほど使われている


このように、音楽の印象を左右する重要な役割を担う和音 だが、実際に使われるようになったのは そう古いことではない。音楽に重きを置いた中世キリスト教会で歌われた聖歌は、単旋律・無伴奏。それが、「甘美な響き」と呼ばれる和音が使われるようになるまで、およそ千年の月日が経過した。


「和む」が「やわらぐ。おだやか。のどか。なかよくする。争いをおさめる。合わせる。合う。ととのう。」を意味するように、和音のそれぞれの音が 協和する、調和する音を選んで使われることが多い。この「協和する」という感じかたは、時代によってかなり異なる。現代の和音を、モーツァルト時代の貴族たちが聞いたとしたら間違いなく顔をしかめただろうし、それ以前の、例えばグレゴリオ聖歌を制定したローマ教会からは“ご法度”として除外されたであろう

時代による違いだけでなく、そもそも和音の物理的な性質(原理)として、ある和音にとって調和する 良い音を選ぶと、それは他の和音にとってはうまく協和しないという現象が起きることがある。それを何とかしようということで“折衷案”が取られた。これが、平均律と呼ばれる 調律方法だ。

協和する音の関係をちょっとだけ“ずらし”、「ちょっとだけ響きの悪い音」にして、他の和音でも同じようにちょっとずれてはいるがまずまず協和するように、1オクターブの中の12個の音を均等間隔にした。つまり、わざと調律を狂わせることでいろいろな調子の音楽が演奏できるようにしたということだ。

だから、現代私たちが耳にする音楽のほとんどは本当はよく響いていない、ちょっとずれている「折衷案の音楽」なのだ。


その音楽に私たちは「和」を求め、その音楽を聴いて「心やすらかで体すこやかに」過ごせるようにと祈っている。

(光裕)   .