2023.09.29 号
ぐんと涼しくなりましたね、その後いかがお過ごしでしょうか?
今日は中秋の名月。ご覧になられましたでしょうか?
さて、ちょうど本日、いよいよ10月15日に開催が迫った『Happy Toco 結成15周年記念Live 第2弾』のリハーサルをいたしました。
当日は、榊原光裕オリジナル曲「白い海」や、榊原光裕アレンジが光る「紅葉」や
「スカボロフェア」のほか、ルバートでうたう「これからの人生」や「ルイーザ」、CD収録したなかでも一番人気の「天国への階段」、ついで人気の「イングリッシュマンインニューヨーク」や「ボレロ」、CDバージョンとはことなるアレンジで今回初めてご披露する「思いでの夏」等々、演奏いたします。どうぞご期待ください♪
月
今日9月29日は中秋の名月(旧暦の8月15日)であり、満月の日でもある。
(中秋の名月と満月が一致しない年もある。例えば来年2024年は満月の前日が中秋の名月となる)
私たちは学校で「太陽の周りをまわるのは惑星」「惑星の周りをまわるのは衛星」と習った。その理屈で「月は地球の周りをまわる衛星」ということが常識と考えられている。しかしそれは誤りである。「月は地球の衛星ではない」 ※脚注
月は地球の「連星」だ。強いて例えれば、兄弟か、とても仲の良い竹馬の友のような存在だ。
月は、地球の約4分の1の大きさ(直径)を持つ。惑星の周りをまわる他の衛星で(母星に対して)このような大きさを持つ衛星は、太陽系にも太陽系外でも見つかっていない。このように特殊な関係にある地球の月は、母星である地球に大きな影響を与えている。例えば月の引力が地球上の海を"引っ張り上げる"ことで生じる潮の満ち干。
それほど強い力を持つ月は、地球に住む生きものたちにも様々な影響を与えているといわれる。例えば、満月になるとサンゴが多く産卵し、プランクトンが海に深く潜り、ヒマワリの苗が成長し、ライオンは仮の回数を減らし、逆にサメが人間を襲う回数が増える… などなど
そして、もちろん、われわれ人間にも。
月が私たち人間の体と心に及ぼす影響については、世界中どの民族にも、どの時代の人々にも言説が数多ある。
近年では、科学的な立証がなされていないものも多く喧伝されるが、伝統的な言い伝えにも、月と人体との関係をあらわしたものが多い。体調への影響では、「満月の夜に出産が増える」「興奮状態になり不眠や火照りを感じる」などや、「満月になると具合が悪くなる」など
精神面への影響では、「人の心を狂わす」…そのことから「犯罪が増える」 等々
様々な言い伝えが語り継がれていることからだけでも、月がわれわれに与える影響が大きいことはうかがえる。
漢字の「月」は三日月の形の象形文字が変化したもの。「太陽」に対して「太陰」とよばれる。
暦は、近代社会は大陸から導入された太陽暦によってほとんどの物事が定められるようになったが、自然を相手にする農業や漁業に携わる人にとっては、いまだ太陰暦も重要だ。
皆さんも月を見たときに、私たち(多くの人)の心の中に、ある独特の"ただならぬ"感覚が呼び覚まされるのを感じるのではないだろうか?
月を歌い、表現する音楽も、ポップス、クラシックを問わず多いのも、そのためだろう。
宇宙の中で、この地球にだけ存在する特別な月。
Happy Toco が結成15年目を迎えた。この間に月は約185回満ち欠けを繰りかえした。
私たちの体と心も、月に影響をうけた変化を体験してきたに違いない。
(光裕) .
※「月は地球の衛星ではない」 川添良幸 東北大学未来科学技術共同研究センター http://www.gentosha-academy.com/serial/kawazoe/芝居と歌と
「小林多喜二」のことは、ご存知でしょうか?
私は秋田出身なので、小さいときから名前には触れていました。また、父の同僚だったかたが、小林多喜二の研究をなさっていたこともあり、その生涯などもほんのすこしは学ぶ機会をもっていたように記憶しております。
その小林多喜二を題材にした、井上ひさしの戯曲『組曲 虐殺』の公演が、仙台・卸町で9月8日から、前回のHappy Toco Liveを開催した9月17日まで、つづいて井上ひさしの「遅筆堂文庫」がある山形・川西町で9月24日におこなわれました。
その『組曲 虐殺』の音楽を、榊原光裕が担当しました。そのことについて書いてみます。
仙台・愛子の「Happy Toco House」にて、すでに今春には、構想を練り始めていました。
もちろん、書き下ろしで、この作品のために作曲、編曲したものがほとんどですが、一曲は、ジョージ・ガーシュウィンによる「Love Is Here To Stay わが恋はここに」をアレンジしたものでした。
井上ひさしは、もともと音楽が大好きで、自宅に大量のCDを所蔵していました。とくに書斎には、たくさんのCDがいくつものラックの中に入っていて、そのCDラックは、彼の宝箱であり、また作劇の道具箱でもあった、というかたも。なかでも最も好んでいたのが、ジョージ・ガーシュウィンだったといいます。
今回の「組曲 虐殺」で、榊原は、「独房からのラヴソング」のところで、「Love Is Here To Stay」をあてました。戯曲に、(ヴァ―ス)、(コーラス)という指定もありましたし、なにより「ラヴソング」です。榊原は、ガーシュウィンのかなりの楽曲を片っ端からあたって、井上ひさしの書いた歌詞に合うものを探したそうです。そのうえで、言葉の音数にもっとも合いそうで、"Love"にちなんだ曲として、これだ、と思ったといいます。
この曲を歌うのは、まさに多喜二。
多喜二の残した文章に、その名も「独房」というものがありますが、そこに「小ッちゃい独房の一間に、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、独言でもした時の外はない」と記しているように、まさに「組曲 虐殺」の中でも、多喜二の世話をするふじ子が、「差し入れるものを、いまからたしかめているところなの。何日も独房に閉じこめられていると、自分の顔と声がわからなくなるんですって。鏡を見て、声を出す。そうして自分をたしかめるわけね」と語ります。そのあとのシーンが、この「独房からのラヴソング」。
歌詞は「おはよう多喜二くん ぼくは恋をしてるんだ きみのうしろに 見えているひとに」と始まります。
そして
「働きすぎとは 知らずにいたのさ きのう工場で
血を吐くまでは いとしいな あの少女は……
ああ ぼくは片方だけの靴 なんの役にもたちそうにない
きのうもきょうも お水がごはん 父さんはいま留置場にいる 工場の仲間とストを打ったから
いとしいな あの母さんは……
ああ ぼくは片方だけの箸 なんの役にも立ちそうにない」
と続きます。
そして最後は「おやすみ多喜二くんぼくは恋をしてるんだ……」。
ガーシュウィンの曲が、ぴったりでした。
榊原の書き下ろしオリジナル曲で、私にとって心に焼き付いた1曲は、「胸の映写機」。
多喜二が、物を書くときには、体ぜんたいでぶつかっていかなきゃね、というはなしをしたのちに、
「体ごとぶつかっていくと、(左手を胸にあてて)このあたりにある映写機のようなものが、カタカタと動き出して、そのひとにとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃えあがらせるんです。ぼくはそのようにしてしか書けない。」と語ります。
かけがえのない光景とは、「そのときそのときに体全体で吸い取った光景のことかな。ぼくはその光景を裏切ることはできない。その光景に導かれて前へ前へと進むだけです」と続きます。
そのあと、自分をちまなこになって探し出した特高警察の2人も一緒に、押しくらまんじゅうをして、多喜二は
「これはぼくの、一番新しい、かけがえのない光景だな」
とつぶやき、「胸の映写機」を歌い始めるのでした。
「カタカタまわる胸の映写機 ひとの景色を写し出す
ぼくにいのちがあるかぎり カタカタまわる胸の映写機
カタカタカタ カタカタカタ カタカタカタ……」
3時間にのぼる上演の最後のシーンは、拷問を受けて命をおとした多喜二の葬儀を終えた瀧子とチマのもとに、元特高の2人がやってきて心を慰める言葉を伝えたのち、出演者6人全員がふたたび「胸の映写機」を歌います。さきのシーンでは2番まで、そして芝居の最後は3番を。
「カタカタまわる胸の映写機 かれのすがたを写し出す
たとえば 本を読み読み歩くすがたを 人差し指の固いペンダコを
駆け去るかれの うしろすがたを とむらうひとの涙のつぶを
本棚にかれが いるかぎり カタカタまわる胸の映写機
カタカタカタ カタカタカタ カタカタカタ」
これは、井上ひさし本人の思いも多分に織り込まれたものだったように思います。この作品が、「遺作」だったのも頷けます。
6人の若き俳優たちも、演出の渡辺ギュウさんも、榊原光裕も、ほんとうにこの素晴らしい本を、じつに見事に、作品として昇華させていました。
何か月も、榊原が長い長い時間を割いて、芝居の稽古にも毎回のように立ち合っていた理由も、よく分かりました。この作品の音楽を、榊原に依頼してくださったギュウさんに感謝。これほどの凄い舞台を見せてくださった俳優さんたちに感謝。そのような思いで、卸町で観て全て内容も分かっているというのに、また川西町にも観に行きました。いっそう大泣きしました。
Happy Tocoとしても、いつか劇伴を担当したい、舞台を俳優たちと作ってみたい、そんな思いをあらたにした公演でした。
(聡子)