2023.03.06 号
だいぶあたたかくなってきましたね。その後いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
3月8日は、イタリアでは「FESTA DELLA DONNA」(女性の日)とされ、男性から女性へミモザの花束が贈られる日とのこと。
「バレンタインデー」も、日本とは違い、たとえばエストニアでは、友人に花を贈る日とされているとか。
国によって、こうした習慣もさまざまですね。
今年のHappy Toco Liveは、1月はイングランド音楽特集、2月はフランス音楽特集でした。そして4月は、1920年代から1930年代のアメリカ音楽特集です。国らしさ、時代らしさを、サウンドとハーモニーとリズムにのせてお届けできれば、と思っております。どうぞお出かけください♪
20年代、30年代のアメリカ音楽
1877年エジソンがフォノグラム(蓄音機)を発明する前、つまり音が複製できるようになる以前、人々はどうやって音楽を楽しんでいたのだろうか
一つは生演奏。現代のコンサートのように大きな会場に集まって音楽を聞くスタイルは、貴族や富裕層など特定階級のものだったろう。音楽を一般人が楽しむのは、大道芸など旅芸人や辻師による演劇を伴うものや、歓楽街(酒場)で演奏される音楽だった
そしてもう一つは楽譜である。人々は楽譜を手にしてそれを何らかの方法で演奏することで音楽を楽しんでいた
楽譜は紀元前2世紀頃にはすでにあったと言われているが、古代ギリシャや古代ローマで使われていたとされる楽譜は、今のものとは大分様相が異なるようだ
これが今のような形になったのは、中世11世紀以降。特に、15世紀グーテンベルクが印刷技術を開発し、楽譜の大量生産が可能になった
世界に五線の譜を広めたのは先進国イタリアだったが、一般の人々にポピュラー音楽を届けるようになった楽譜産業の主力は19世紀アメリカ合衆国だ
ニューヨーク・マンハッタンの一角に多くの楽譜印刷業者がひしめき合っていた。この通りはティン・パン・アレー=錫(すず)鍋小路と呼ばれた。競ってブロードウェイ・ミュージカルの音楽などヒット曲を楽譜にして売り出していた各出版会社が、自社店舗の前で楽譜の試演奏を行っていたため、まるで金属鍋でも叩いているような賑やかな状態だったことからこの名前がついたと言われる
各出版社には人気ヒット曲を次々と生み出すお抱えの作曲家がいた。ジェローム・カーン、アーヴィング・バーリン、コール・ポーター・ジョージ・ガーシュインなどなど
例えば、アメリカ第二の国国家と呼ばれる「ゴッド・ブレス・アメリカ」や「ホワイト・クリスマス」などを作曲したアーヴィング・バーリンは、その生涯で3000曲以上の作曲をしたと言われている
今回のHappy Toco ライヴでは、このティン・パン・アレーの作曲家たちを中心に、その代表曲などを紹介し、「ジャズ・エイジ=狂乱の時代」と呼ばれた1920年代から30年代のアメリカ音楽をお届けしたい
(光裕)
音楽と花と
昨年、私どもが刊行した本『僕たちの音楽案内』で、「音楽のはじまり」と題したまえがきに、榊原がこう書きました。
「音楽は、いつも、私たちの暮らしとともにあった
ある時は 生きることへの感謝と喜びを表し、
ある時は 災いや病を取り払い、
ある時は 自分たちを超えた存在を呼び寄せ祈るために、
ある時は 先祖たちの成しとげたことを伝え継ぎ、
そしてある時は 自分たちの心の安らぎを得るために
それが音楽の"意味"だった」
同じように、まさに、感謝や喜びを表すため、
ときに、災いや病を取り払うため、
またときには、自分たちを超えた存在を呼び寄せ祈るため、
そして、先祖たちの成しとげたことを伝え継ぐため、
日常的には、自分たちの心の安らぎを得るために、
つねに人間の暮らしとともにあったのが、
"花々"だったのではないでしょうか。
花文化研究家の川崎景介さんによれば、まず人が花を飾るようになったのはいつ頃かといえば、記録が残っているたしかなものとしても遅くとも3500年前で、古代エジプトに、人が花をたむけている壁画があるとのこと。
また、家屋の一角に、供物と一緒に花を置いたりしていたことが分かっているそうです。もとは宗教的なものとして捧げられたものとしても、そもそも尊敬や感謝の想いを伝えるためだったことでしょう。
ドライフラワーの最初の記録があるのも、古代エジプトで、ピラミッドで王のミイラにドライフラワーで作った花冠が置かれていたものが見つかっているようです。
そして、同じく古代エジプトで、香りのいい花を乾燥させることで、「ポプリ」の原型になるものも、作られていたといいます。
ドライフラワーが暮らしの中で大きく発展したのは、開拓時代のアメリカにおいて、とのこと。過酷な日々の中、薬として乾燥させ保存し、命を支えるために用いていくうちに、だんだんと部屋に飾り、目でも心でも楽しむようになったようです。
心が弱っているとき、心が多くのものは受けつけないとき、情況が辛いときでも、自分が耳にしたい音楽、自分のそばに飾りたい花、そうしたものが支えになれば、何とか生きていくことができるのかもしれません。
いよいよ芽吹きの季節、このところ花の蕾も目にするようになってきました。
どうか、よき春となりますように。
(聡子)