2022.04.10 号
この冬の間、Club通信を発行できませんでしたことを、まずもってお詫び申し上げます。
仙台を拠点に、14年間活動してきた Happy Tocoですが、それが継続できるかどうか……というほどにHappy Tocoが揺さぶられる出来事が起きました。
そのようなとき、この数年たびたび共演してくださっているベースの青木大志さんが、「こういう時こその音楽ですよね♪」「こんな時こそ音楽をやりましょう!」と背中をおしてくださいました。
Club通信を制作することまではできませんでしたが、ご案内のお葉書のみ、何とかご用意して、仙台近郊にお住まいのかたにお送りし、2月13日には「Música brasileira」と題して、地球の反対側で、真夏を迎えたブラジルの音楽を、4月2日には「The Beatles' sound」と題して、ビートルズの音楽を、演奏しました。
Liveの間、ずっと幸せな思いが心を満たしました。
今年5月8日で、Happy Tocoは活動15年目に入ります。
メンバーの支え合いに感謝しながら、Happy Tocoのサウンドをこれからもお届けしていきたいと、今、心から願っています。
エキゾチック・ライフ
今年もまた春がやってきた。
「♫ 春になれば、凍コ(しがこ)もとけて」めぐる季節は環境に変化をもたらし、どじょっこやふなっこだけでなく、私たちを含む多くの生き物に、驚きや新鮮な気持ちを感じさせてくれる。
…(続きを見るには、ここをクリック)
「日が昇り朝がきて、日は沈み夜になる」1年間の中で、4つの季節がめぐるように、1日という時間の中でも朝昼夜がくり返しやってくる。
谷川俊太郎が詩作品「朝のリレー」で、「カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウィンクする」と書いたように、地球は回り続けていて、そして、地形や経度によっては、朝昼夜のありかたも季節のありかたも、さまざまだ。ずっと太陽が沈まない日が続くところもあれば、何日も雨が降りやまないところもある。
それだけに文化も多様。異文化もまた、驚きや新鮮な気持ちを与えてくれる。「エキゾチシズム 異国情緒」-遠い未知の国、異国の風物、情緒に憧れを抱く心境。私たちは、昔から、エキゾチシズムを感じる未踏の地を訪れ、知らない人たちと出会い、知らない言葉で会話をして、知らないものを見て、手にして、そうして、知らない風習や文化を新たに感じとることを、くり返し行ってきた。
人は、どうしてエキゾチシズムを感じるのだろう?一つは、人間が本能的に持っている性質、好奇心によるものだろう。まだ見ぬ土地や人、物に対する好奇心が、エキゾチシズムを生み出す。かのアインシュタインは、「大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない」と言った。そもそも乳幼児は、短期間で多くのことを学ばなければならず、好奇心がなければ発達できない。そして大人になると、知ることや理解することへの渇望が人間の発展と成功の原動力となる。
しかし、好奇心だけでは、人がこれほど強くエキゾチシズムの感情を抱くことの説明としては不足しているように感じる。
松浦寿輝(ひさき)さんの本『わたしが行ったさびしい町』の中に、その答えの一つをみつけた。松浦さんが言う「さびしい町」とは、何の変哲もない普通の町。松浦さんはそこに惹かれている。
「さびしいと思いながらただ歩いて、風景や人々を見て、旨い魚を食べるーー旅とは結局、そうしたものではないだろうか。観光名所を勤勉に経巡(へめぐ)る旅より、よほど旅らしい旅なのではないだろうか」。
映画評論も手がける松浦さんは、好きな映画のロケ地にも出かける。いわゆる「聖地巡り」だ。そうして訪れた聖地は、さびしい町でも、自分の愛する映画の記憶によって、自分だけの特別な場所になっていく。
松浦さんより10年ほど人生の先輩である川本三郎さんは、さびしい町を歩くことは、“よい孤独”を感じることでもある、と言う。孤独と旅と人生の重なり合いを感じる。さらには、愛することや幸せというものも、そこに折り重なる。
松浦さんが書いていた。普通の一日、変哲もない一日は、「実は奇蹟のような何かではないだろうか」と。私たちが送る、一日、一日にも、驚くような「奇蹟のような何か」が溢れている。
次のHappy Toco ライヴでは、そんな日々の生活(Everyday life)にちなんだ曲と、エキゾチシズムを感じさせる曲とを選び出して、お届けしたいと思う。
(光裕)
日常と非日常のあわい
ロシアのオーケストラで首席指揮者を務めたこともある、指揮者の西本智実さんは、現在のロシアの芸術を取り巻く状況(たとえばミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団が、ロシア人の首席指揮者 ワレリー・ゲルギエフ氏の解任を発表するようなことが続く現状)に、
「今まで積み上げてきたすばらしい活動が真反対の意味にとられ、崩れ落ちていく、そのような危険を強く感じます。
それぞれの民族の歌や作品、さまざまな歴史を経て残してきたものを題材にして作品を作って世界に紹介する、そういう芸術活動をしてきているわけです。それを、破壊するということは憎しみの連鎖が生まれてくる可能性があります」と先月にご発言されています。このお考えに、私はつよい共感をおぼえています。
西本さんは、曽祖母が、長崎県平戸市の生月島(いきつきしま)にある壱部という集落で暮らしていた隠れキリシタン一族の末裔だったとのこと。生月島は、フランシスコ・ザビエルらのイエズス会が布教を始め、いち早く民衆にキリスト教が浸透した地域でした。
しかし、1587年の豊臣秀吉のバテレン追放令によって、以来明治まで続く禁教の間、人々は「隠れた信仰」と「仏教」の2つの儀礼を一通り行うことで、幕府からの迫害から逃れたと伝えられています。
「隠れキリシタン」となった人々は、口伝えで祈りの歌を伝承しました。それらは、宣教師によって教えれたラテン語の祈祷文にメロディをつけて歌われ「オラショ」と呼ばれました。
2014年に、西本さんがそのオラショを復元し、壱部地区の信者とともに演奏されたコンサートを、榊原ともども聴く機会をもちました。その後まもなく西本さんは、バチカンでも披露されました。
まさに西本さんは、生月島に隠れキリシタンの伝承があるということを、バチカンでの演奏を通じて、世界に知らしめました。
彼女のルーツとなっている地元の方々が、生きるために、命がけで守ってきた、隠れキリシタンの心を伝える活動でした。
長崎と禁教といえば、1597年に豊臣秀吉の命によって、長崎で磔の刑に処された、26人のカトリック信者のことが思い出されます。
長崎には彫刻家・舟越保武による日本二十六聖人記念碑があり、訪れたことのあるかたも多くいらっしゃることと存じますが、長崎と姉妹都市である、ポルトガルのポルトにある「サンフランシスコ教会」にも、「長崎殉教者」が祀られていることは、あまり日本では知られていないかもしれません。
先日、NHKの『ヨーロッパの教会』という番組で、ポルトのサンフランシスコ教会が紹介され、「長崎殉教者祭壇」がじっくりと映されたときには、私自身はっとしました。26人ではなく祀られているのは8人。これは26名のうちフランシスコ会の殉教者が、8名だったのでした。
布教に訪れた先、日本という異国の地で、殉教してしまったことを、ポルトガルのサンフランシスコ教会側から見れば、日本側から見るのとはまた違うのだ、ということを教えてくれました。
ロシアでも、ヨーロッパでも、多民族の文化が絡み合い、長い歴史を経て、芸術文化が育まれてきました。
日本は独特な歴史ゆえ、様相がだいぶ異なりますが、それだけに多民族が、長らく攻撃をしあいながらも、異文化を受容しあってきた文化に触れると、感銘を受けます。
アラブ・ノルマン時代の建造物が残る、シチリア州のパレルモは、アラブ、ノルマン、ビザンチンという、異なる文化が見事に融合した見本でしょう。
「ノルマン王宮」は、9世紀にアラブ人が建築した城を、12世紀にノルマン王が、要塞と王宮とし、王宮内の「パラティーナ礼拝堂」は、イスラム教徒の職人によって装飾されました。この地はフェデリコ2世の統治時代には、ヨーロッパの中心となったほどでしたが、その際、フェデリコ2世は、イスラムの王と話し合いで和平を実現させたのでした。
フランシスコ・タレガの『アルハンブラの思い出』が作曲されるきっかけともなった「アルハンブラ宮殿」は、よく知られているとおり、1492年にイスラム最後の王朝グラナダ王国が陥落したことで、キリスト教徒に明け渡すことになりますが、キリスト教徒がこの王宮を潰すことはしませんでした。やはり、あまりの美しさに、破壊することは躊躇われたのでしょうか。
とはいえ、人間の世の中では、話し合うことだけで和平に至ったり、美しいということで免除されることばかりではないでしょう。
自らのアイデンティティがおびやかされそうになったとき、何をもって正しいとし、何をもってそれを守るかー。
迫害を受けても信仰を続け、隠れてオラショを歌い、「生きる力」を保ってきた人々がいたように、大変な状況にあろうと、誰もが、何かを支えに今日も生きているにちがいありません。
Happy Tocoメンバーは、特定の宗教はもっていませんが、やはり、演奏や文章を通して、自分たちの意思を表現していくことが、自分たちの生きる力になっています。また、そこに共感してくださるかたがたがいらっしゃることが、生きる支えになっています。
いまは、なかなか旅をすることも、ままなりませんが、人生そのものも旅。さまざまなことを日々感じるなかで、改めて考えたり調べたりしながら、音楽や本の中で、旅を続けていたいと思います。
そして、日常というのは非日常というものと、すぐそばにあるものだと私は思っています。よくもわるくも、です。何か大きなことが起こってしまえばあっという間に日常は失われます。
巷でよくいわれる、贅沢として「非日常を求める」といったことは、平和な社会にあり、日常というものが一定期間、続いている中でこそのことでしょう。
それだけに、日常も、私には、十分にきらきらと輝く時間です。
6月4日には、いろいろな人生、いろいろなエキゾチシズムをあじわっていただけよう、Happy Toco Liveを無事に開催できますように、とただただ祈っています。
(聡子)
催しのご案内
2022年6月4日(土)仙台 となりのえんがわライヴ
開場14:40 開演15:00
出演:Happy Toco 榊原光裕・佐藤聡子・岸川雅裕 + Guest 青木大志
会場:となりのえんがわ 仙台市宮城野区銀杏町4-29 TEL:022-256-7223
ミュージックチャージ(要ご予約) ゴールド会員 3100円
ライト会員・ブロンズ会員 3500円
一般3600円
お申し込み・お問い合わせ Happy Toco 事務局 mail:happytoco@happytoco.jp
事務局より
例年ですと、Happy Tocoでは、結成記念日を迎える5月上旬が新年度切り替えで、Club会員の更新のご案内などをする時期ですが、今年は、2021年度の会員のみなさまは、8月までこのまま延長、ということにさせていただきます。
お問い合わせをくださったみなさまには、ありがたく思っております。
再開しましたClub通信も、引き続きお楽しみに!