2020.06.06

6月に入り、“日常”が戻りつつあると報じられてはいますが、県外へ演奏に伺ったり、県外からLiveへお客さまにお出かけいただいたり、ということも、集っていただき、語らったり、食卓をにぎやかに囲んだり、ということも、抵抗なくおこなえるようになるまでには、まだまだ時間を要するような気配です。

前回のClub通信で、みなさまへ「Happy Toco S Club」のご案内とお願いをいたしました。ありがたいことに、82名のかたから、ご支援をいただきました。

「何とかHappy Tocoを継続してください!」というお言葉、「ちょうど、自分のような公務員は、支援すべき立場だと思っていたところでした。提案してくださってありがとう!」というお言葉、さらには「ご案内をいただくまえに、苦境を察して、すぐに動くべきだったのに、遅くなってごめんなさい!」というお言葉までいただきました。

こんなにも温かなお心を寄せてくださるかたがたに出逢うことができていたHappy Tocoは、なんと幸せなユニットだろう、と感涙をこぼしました。

いただいたお言葉におこたえできるよう、これからいっそう精進し、豊かな音楽の発信をめざしてまいりたいと思っております。

ご支援くださったみなさま、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。

「ポスト・コロナ時代へ向けて」


「ぼくらはみんな生きている!」

そう、ミミズだって オケラだってアメンボだって……そしてコロナウイルスだって。(ウイルスは生物ではないが、この世に存在しDNAやRNAを複製し増殖するという広い意味で生きている。)この小さな星の上で生きているものたちは、時には殺し合い、時には傷つけ合う。しかしそれは“戦い”ではなく、自然の営みの一部だ。

わずか100年の間にその数を3倍に増やした私たち人類にとって、この新たなウイルスに対して人口減少をいかに抑えることができるかということが、世界各国政府にとって何よりも大きな「チャレンジ」となっているようだ。日本では、専門家が「クラスター対策」なる戦略を立て、感染経路をすべてしらみつぶしに……いや“ウイルス”つぶしにする施策がとられた。その中で、人が集う場として真っ先に槍玉に挙げられたものの一つが、劇場型のコンサートやライブなど、まさに私たちの“現場”だった。これによって政府は、様々なイベントの自粛、学校の一斉休校を“要請”した。

これに対して、劇作家・演出家の野田秀樹さんがいち早く「一演劇人として劇場公演の継続を望む」という意見書を自身のホームページに掲載し、「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術。劇場の閉鎖は『演劇の死』を意味しかねない」と訴えた。もちろん、今回の騒動で被害・損失を被ったのは、ほとんどすべての職種に及ぶものだったが、芸術活動に関わる人にはフリーランスや小規模組織のものが多く、またコロナがある程度収束した後もこのような閉鎖は続くと予想されたからだ。海外でも多くの劇場・映画館や美術館・博物館などが閉鎖されたが、これに対して、ドイツやフランスなど欧州各国政府は、芸術家や文化施設に対する非常に手厚い支援策を打ち出した。

表現の場を失っただけでなく、外出自粛で在宅を余儀なくされた芸術家、とくにミュージシャンたちは、ネットを通じての新たな表現を始めた。中でも、演奏者が自宅に居ながらインターネットを通じてセッションを行う動画が次々に発表され、新たな表現として定着してきている。

今後、感染症がある程度収束することはあっても、そこに終わりはない。私たちの生活が“元に戻る”ことはありえない。なぜなら、今回のウイルスとの“遭遇”と感染拡大の原因が、私たち人間にあるからだ。科学発展の名の下「より速く、より広く、より高く、より強く」を求めて“発展”してきた人類は、その過程でいくつもパンドラの匣(はこ)を開けてきた。私たちはこれからどこへ向かうのか…… それをきちんと考えるきっかけと時間を、コロナウイルスが与えてくれた。ボクはそう思う。

(光裕)

「リビングルームコンサート」


“ボーダーレス”を合言葉に活躍するピアニスト、小曽根真さんが、4月9日から5月30日までは自宅を会場に、そして最終日5月31日にはオーチャードホールを会場にして、「Welcome to Our Living Room」と題した、毎晩1時間ほどのコンサートを生配信されました。

このウィルス問題の状況下、世界中の人々へ、とくに医療従事者の方々へ向けたメッセージとあわせての発信でした。

Live配信ということもいかして、リアルタイムのリクエストも受付。1曲弾き終わるごとに、届いているメッセージを確認。「うん、やってみよう」とピックアップされ、自在にプログラムが組まれていきました。ふだんビッグバンドで演奏しているような曲をピアノソロで聴かせてくださる場ともなり、ときにはご自身にとって初めての曲で「宿題にさせて!」と何日か後に小曽根さん流の解釈で披露される場ともなり。思いがけないイントロやコード選びにはっとさせられたり、ピアニッシモで響く小曽根さんらしいハーモニーにうっとりしたり、とても幸せな特別な時間でした。

じつは小曽根さんと榊原は、Berklee(バークリー)で同時期に学んだ仲間。

お互いに、それぞれ在籍した課で、首席卒業だったこともあり、その選ばれし若きミュージシャンたちで構成された「Dues Band」の卒業発表会では、榊原が作曲した『Tenderly in July』を小曽根さんが弾く、というコラボレーションもなされたのでした。

その当時のプログラムが、いまもBerkleeのホームページに残っていました!

https://archives.berklee.edu/berklee-international-dues-band/29048#page/2/mode/2up

角田健一さんのお名前もありますね。

なんとユニークな顔ぶれの同期だったのでしょう。

榊原は、「ぜひ学校に残って、講師をしないか」という誘いを辞退し、日本へ、それも仙台へ、戻りました。

榊原には、「ボクは、ボクの音楽をしていたい!」という思いがあったのでした。

いつも榊原の音楽をそばで聴いている者としては、もっともっと届けたい、もっともっと聴いていただきたい、その思いをいっそうつよくしているこの頃です。

榊原もまさに“ボーダーレス”。榊原のこれからの発信に、どうぞご期待ください。

(聡子)

事務局より

前回 S Clubのご案内をしましたら、毎日のように、払込票やメールに書き込まれた Happy Toco への温かい支援のお言葉が届きました。事務局の一員といたしましても大変感激しました。

私自身も仕事が滞ったりして、気持ちが少し落ち込んでおりましたが、とても励まされました。この場を借りまして御礼申し上げます。

(みきねえ)